久しぶりに鍬(くわ)や鎌(かま)をガッツリ使う機会がありました。
結果、手には小さなマメができ、翌日は変な筋肉痛。
改めて、自分のカラダの使い方の未熟さを思い知らされた・・・
まさに「THE☆現代人」
力任せに動いてしまい、無駄なエネルギーを使ってしまう。
しかし、ふとした瞬間に力が抜けテコの原理のように動けているときは、驚くほどラクなのに力が出ている。
道具を使っているつもりが、実は道具に遊ばれているようだ・・・
長年農業をしている叔父の手捌きは本当にお見事。
無駄が一切なく軽々と作業をこなしていく。
鎌を使う姿があまりにスムーズで「そっちの方が切れ味が良いんじゃないの?」と言ってしまうほど。
でも、鎌を交換して試してみると思うようにいかない。
叔父は私が使っていた鎌でも変わらず器用に作業を続ける。
どうやら私のカラダの使い方、技術に問題があったようだ。
大切なのは「道具」ではなく、「使いこなす技術」。
大切なのは「道具」ではなく「使いこなす技術」なのだと痛感しました。
もっと上手にカラダを使えるようになりたい。
ふと、疲れ果てた時こそ余計な力が抜けて効率的な動きを自然と身につけられるのではないか、
強制的に力を使えない状況に置くことで本来の効率的な動かし方を学べるのではないか、と思う。
試してみたい。
農業や力仕事で自然についている筋肉って、無駄がなくて機能的。
気づけば、しなやかな良いカラダに仕上がっている。
見た目だけじゃなくて、ちゃんと「使える」カラダになっているのが魅力的。
筋トレで鍛えたカラダは、どうしても「作った感」が出るけど、農作業や日常の動きで育まれたカラダは、実用的でまるで生命力そのものが宿っているかのように感じる。
そういうカラダの方が色気や生命力を感じるのは私だけではないはず。
農業を続けるおじいちゃん、おばあちゃんの姿は無駄がなく、しなやかで、そして力強い。
彼らが畑を離れた時、急にカラダが弱るのは農業そのものが「生きるための動き」と結びついているからかもしれない。
実際、私の祖母は子どもの頃から畑を続け、骨が驚くほど強い。
何度転んでも折れたことがないのは、長年の積み重ねのおかげなのかもしれない。
現代社会では、わざわざ「運動」をしないと体を動かす機会が減ってしまう。
しかし、農業のように日常の中で自然とカラダを使うことが、本来の健康的なあり方ではないだろうか。
カラダの使い方を見直すヒントは、こうした「生きるための動き」の中にあるのかもしれない。
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