わたしは、雑に扱われるのが苦手だ
私は雑に扱われるのが苦手です。
美容室やエステ、ネイル、まつ毛サロン、パーソナルジム――
“きれいになりにいく場所” でこそ人の丁寧さに敏感になります。
完全予約制と書かれていても、
予約が詰まり気味で流れ作業のように進むと「この人、私をちゃんと見ていないな」と感じてしまう。
言葉づかいは丁寧でも、その奥にある空気の質で本当の温度が伝わってきます。
自分まで “雑にされている” ような感覚になるんです。
だから私は、大切な自分を雑に扱う人とは、少し距離を置くようになりました。
自分を丁寧に扱うようになって、気づいたこと
むかし、不調が続いていた時期がありました。
難聴、円形脱毛症、手足の痺れ、胃の不調。
体が「もう限界だよ」「ちゃんと自分を見て」と、教えてくれていたのかもしれません。
そこから、“整える”という選択肢が日常に少しずつ入ってきました。
姿勢を整えること。呼吸を深めること。
体調を戻すために始めた行動が、いつの間にか「自分を丁寧に扱う」という感覚につながっていきました。
そして、自分を丁寧に扱えば扱うほど不思議と外からの雑さにも気づくようになったんです。
雑にされているのに、気づかないままでいると
丁寧に扱う感覚が育つまでは、そもそも「雑にされていること」にすら気づけなかった。
「こんなもんだよね」と自分に言い聞かせたり、
「私が気にしすぎてるだけかも」と心にフタをしていた時期もありました。
でもそのフタが外れたとき、
「嫌だな」「これは違うな」という感覚があったことに気づいたんです。
気づけたからこそ、選べるようになる。
これは距離をとっていい。これは大事に付き合いたい。
そんなふうに “自分を守る選択” が少しずつできるようになってきました。
雑さに鈍感でいるよりも、
自分を大切にする感覚を持ち続けることの方が、ずっと大事だと思うようになりました。
丁寧に扱ってくれる人は、わたしの丁寧さに気づく人
自分を丁寧に扱うようになると、人との関わり方も、少しずつ変わっていきます。
前の私は、多少雑に扱われても「まあ、こんなものかな」と流していました。
でも今は、その“わずかな違和感”にすぐに気づけるようになった。
丁寧に接してくれる人と、そうでない人。
言葉づかいではなく、その “佇まい” で自然と分かるようになったんです。
たとえば、ハイブランドのショップやコスメカウンター、
予約のとりづらいレストラン。
“丁寧さ” を売りにしているはずの場所であっても、
言葉だけが丁寧で、所作や間合い、目線に雑さがにじむこともある。
そんなとき思うんです。
「この人、仕事はしてるけど、わたしは見ていないな」と。
手が動いていても、心がそこにない。
それは、ちゃんと伝わります。
むしろ、
・姿勢の角度
・物の置き方
・話すテンポや、目線の動き
・間の取り方や息づかい
そんなふとした動きにこそ、本当の丁寧さは宿ると気づきました。
整えている人かどうかは、すぐにわかる。
過剰に演出されたサービスではなく、静かに寄り添ってくれる人の方がずっと心に残る。
決まりきった対応ではなく、目の前にいる “わたし” をちゃんと見て、声をかけてくれる。
その一言で「あ、今ちゃんと扱われている」と思えるんです。
丁寧な人は、丁寧に整えている人。
そして、丁寧に整えている人は、わたしの丁寧さにも気づいてくれる。
わたしが整えた空気を、踏みにじらない。
そういう人と過ごす時間は、呼吸が深くなって、心が静かに戻ってくる。
たぶんそれは、
自分を大切にする感覚を持つ人同士だからこそ、生まれる空気なんだと思います。
まずは、自分に丁寧なひと手間を
結局のところ、
自分をどう扱うかで世界の見え方は変わっていきます。
髪をとく。姿勢を整える。
お気に入りの器でお茶を淹れる。
言葉を選ぶ。自分に問いかける。
そんな小さな“ひと手間”を自分にかけることが “ちゃんと扱われるわたし”を育てていく。
自分を丁寧に扱う人のところに、丁寧さは集まってくる。
今日一日をどう扱うか。わたし自身をどう扱うか。
まずは、ひとつだけでいい。
丁寧な選択を、自分のためにしてあげてください。
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