リアル人生ゲームを、今日もプレイ中

正解がわからなくても、自分で選ぶということ

「人生って、リアル人生ゲームだな」
ふと、そんなふうに思うことがあります。
サイコロを振る場面はなくても
進むマス目はいつだって自分の選択次第。

「どこに進もう」「どれを選ぼう?」
「このマス、罠じゃないよね?」
「……いやでも、戻るのは悔しい」

──そんなことを、日常のあちこちで考えている。
どんなに真剣に考えても
結局のところ、進んでみなきゃわからないことばかり。
でも――それでいいんです。

誰かのルールで進んでも、モヤモヤが残る

もちろん、思い通りにいかないこともある。
「えっ、ここで “振り出しに戻る” ?」なんて展開もある。
それでも誰かに進まされるより
自分で決めて、自分で進んだ方が、ずっと納得できる。

「これをやった方がいいよ」
「普通はこうするべきでしょ?」

…そんな “正論” や世間のルール。
それに従って進んだ道で
うまくいくことも、もちろんあります。
でも――
「これって、本当に私が望んでいたこと?」
あとから湧いてくるそのモヤモヤ。
それこそが、自分の意思を置き去りにしてきた証なのかもしれません。

「他人に選ばされた」と思っても、それも選択の一つ

「○○さんにこうしろって言われたから…」
「流れでそうなっただけで…」

たしかに、そう “感じる” こともあります。
でも、どこかで自分も「うん」と頷いたはず。

決めきらなかったり、委ねたり、流されたり…。
それもまた “選ばなかった” という名の立派な選択の一つ。
それを無意識にやっておいて「こんなはずじゃなかった」と嘆くのは
なんだか他人事みたいな生き方になってしまう。
他人任せのままでは、ただの運命任せ。

でも、自分で「選んだ」と思える一歩なら
そこにしかない納得や発見が、ちゃんと待っている。

たとえ転んでも、「自分で選んだ一手」なら前に進める

うまくいかなくても、転んでも、
「でも、自分で決めた」って思えたら
なんだか不思議と納得できる。

痛みだって、ちゃんと糧になるし、
次の一手が “自分のもの” になっていく。
そう思えると
リスタートだって案外悪くないなって思えてくる。

人生のマス目に、正解も予定通りもない

この “人生ゲーム” 、想像以上に自由でカオス。

予想外のイベントが起きたり
「なんで今それ?」ってタイミングで道が変わったり。
思い通りになんて、なかなかいかない。

でも――そんなハプニングさえも
プレイヤーとして味わっているうちは
ちゃんと “自分の物語” になる。

大事なのは、“プレイヤーでい続ける”こと

「進む」「休む」「戻る」「チャンスを待つ」
どんなマスに止まったとしても
“誰かの指示” じゃなく、“自分の意志” で選んだなら――
それは全部、価値ある一手になる。

チャンスカードだって、急に出てきます(笑)
でも、それを受け取るかどうかも自分次第。

「私はどうしたい?」
そう問い直して、自分のコマを動かす。
それこそが、プレイヤーとして生きるってこと。

そして、今日というマスをどう進むか

進んだ先で
「こんな世界があるなんて」って思う瞬間もある。

運も、偶然も、タイミングも、思いつきさえも。
ぜんぶひっくるめて、自分の一手にしてしまえばいい。
だってこれ、あなたの人生ゲームだから。

ルールだって、書き換えていい

「○○すべき」ってマスに止まったとしても
「私は、やらない」と選んだっていい。
「こっちに進め」と言われても
「私は違うルートを行く」と決めたっていい。

そうやって少しずつ、“自分ルール” ができていく。

今日、あなたはどのマスに進みますか?

人生のマス目は、他人に決められたものじゃない。
自分で振って、自分で選んで、自分で進めばいい。

“誰かの指示” じゃなく、“あなた自身” が選んだその一歩。

そこにはきっと
あなただけの物語が待っています。


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前田 みゆき

呼吸・姿勢・体の使い方・食べ方から“根性に頼らない体づくり”を発信。不眠・難聴などの不調から整える生き方に変えました。

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