違和感は、きっと間違いじゃない 〜教壇に立って見えた景色〜

専門学校で講師をしている。
単発で入る授業だからこそ、独特の空気を感じることがある。

教壇に立つと、不思議なくらい色々なことが見えてくる。
たとえ人間関係の背景を詳しく知らなくても
「ここは仲が良さそうだな」とか「表面的には一緒にいるけど、少し距離があるな」とか。
ふとした目線、空気の流れ、仕草でわかってくる。

コソコソ内職している子もいる。
バレていないつもりかもしれないけれど、意外とバレバレだったりして。
それもまた面白い。

教室には、用意されたカリキュラムや「一般的な正解」が静かに流れている。
誰もがそれを疑うわけではなく、自然と「こうするのが正しい」という空気に包まれている。
だからこそ、少しでもそこからズレたものが入ると、異物感のように浮かぶことがある。

教室には
堂々と自分の思いを表現する子もいれば
心の中でまだ整理している子
言葉にできず静かに我慢している子もいる。

年齢も背景も違う。
15歳の高校生もいれば、社会人経験を経て学び直している30代もいる。
知識量も、経験値も、考え方も違う。

けれど私は「生徒だから」と特別扱いはしない。
年齢でも立場でもなく、目の前にいるのはたった一人の “人”。
生徒である前に、人として大切なことがあると思っている。

それはきっと、私自身が過去に「型にハマりきれなかった」経験があるからだと思う。
周りが自然と揃っていく空気の中で、私はずっと違和感を抱えていた。
「みんな一緒って、おかしくない?」
そう感じていた私自身こそが、あの教室の中では “異物” だったのだと思う。

あの頃は、居心地の悪さもあった。
でも今振り返れば、その違和感こそが私にとって大事な感覚だった。
今、教壇に立つ自分の根っこを支えているのは、あのとき感じた “異物感” なのかもしれない。

講師という仕事は、教えながら学ぶ仕事だ。
表情の揺らぎ、沈黙の間、ちょっとした仕草。
言葉にならないサインを受け取りながら、教室の空気は静かに流れていく。

もしも、もっと違いを認め合える空気が広がったなら。
違うことを面白がれる世界があったなら。
教室は、もっと柔らかく、安心できる場所になっていくのだろう。

大人も、子どもも。
少しずつ、今日も育っていく。
ゆっくりと。

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前田 みゆき

呼吸・姿勢・体の使い方・食べ方から“根性に頼らない体づくり”を発信。不眠・難聴などの不調から整える生き方に変えました。

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