「トレーナーっぽくないね」
そう言われることが、昔からよくあります。
たしかに私は、筋肉ムキムキでもないし、プロテインも飲まない。
ハードな筋トレを習慣にしてるわけでもない。
むしろ“筋トレがちょっと苦手”なトレーナーでした。
昔は
「もっとストイックにしなきゃ」
「ちゃんと鍛えてなきゃ説得力ないよね」
と、そんなことを思っていたような気がします。
でも…筋トレもサプリもプロテインも続かなかったんです。
嫌いだから(笑)
でも最近、この“トレーナーっぽくない”と言われる理由が
少しずつ言葉になるようになってきました。
それは──
“健康っぽい行動”と“本当に体がよろこぶこと”には、ズレがあるってこと。
筋トレ、ジム、サプリ、プロテイン……
どれも「正しそう」に見えるけれど、
その裏側にある“違和感”に、気づいていない人も多いように思います。
筋トレしてるのに、体を壊してる人が多い不思議
健康のために筋トレをしている。
見た目を引き締めたいから、老化を防ぎたいから、自己投資の一環として──
それ自体はとてもいいことに見えます。
でも実際には、
「なんだかいつも疲れている」
「呼吸が浅い」「眠りが浅い」「生理が止まった」
そんな不調を抱えている人も、意外と多い。
それでも本人は
「私は筋トレしてるし、ちゃんと体に気を遣ってる」と思っている。
むしろ“健康的な自分”に安心してしまっているように見えることさえあります。
でも本当にそうでしょうか?
筋肉は増えたかもしれないけれど、
体はちゃんと整っている?
楽に呼吸できてる?
軽やかに動けてる?
ときどき私は思うんです。
「それ、体がよろこんでないかもよ」って。
筋トレって、ある意味「頑張った成果が目に見えやすい」から
達成感も自己肯定感も得やすい。
でもその気持ちよさが、
“体の本音”を見えにくくしてしまうこともあるのかもしれません。
なぜみんなジムに行くの?
そもそもなんだけど、
「運動=ジムに行くこと」って、なんでそんなに一択みたいになってるんだろう?
運動は大事だと思う。
でも、“ジムに行かなきゃ”っていう発想には少し違和感がある。
自転車でジムに行って、
ジムでバイクを漕ぐ。
歩いてジムに行って、
ジムでウォーキングマシンで歩く。
……いや、それ、もう運動してるやん?って思ってしまう(笑)
でもこれ、
過去の私もそうだったんです。
まぁーすぐ幽霊会員になるんだけど(笑)
なぜか「ジムに行って運動が当たり前」だと思い込んでたし、
それをやってる自分にちょっと安心してた気もする。
「今日もちゃんとジム行ったし、偉い!」って。
でも実はその前にもう動いてたよね?って、今なら思います(笑)
もちろん、ジムが合っている人もいるし
集中できる空間として活用するのはいいと思う。
でも「ジムに行かなきゃ=運動してない」みたいな思い込みは
ちょっともったいない。
たとえば、
・スーパーまでの道を歩く
・エレベーターをやめて階段にする
・一駅だけ多めに歩いてみる
それだけでも、十分「体を使うこと」になる。
運動って、本来はもっと“暮らしの中にあるもの”。
わざわざ感があることだけが、運動じゃない。
そんなふうに考えるようになってから、
“無理して続ける”よりも“日常をちょっと変える”方が
ずっとラクで続くなと感じるようになりました。
サプリとプロテイン信仰のズレ
これもよく見かける光景なんですが、
「健康のためにサプリをたくさん飲んでます」とか、
「美容に良いって聞いたので、毎日プロテイン飲んでます」って人
けっこう多いです。
でもよくよく話を聞いてみると──
普段の食事はめちゃくちゃ適当だったりする。
・朝はコーヒーと菓子パンだけ
・昼はコンビニのパスタかパン
・夜はお惣菜とお酒、みたいな
そんな生活でも「ちゃんとプロテインは摂ってます」って言う。
いやいや、サプリとかプロテインって、
“食事で足りない部分を補うもの”であって、メインの食事じゃないから!
ってツッコミたくなることもしばしば(笑)
実は、私も過去に
体にいいと思ってサプリを飲んでみたり、プロテインを試したこともあるけど……
正直、続かなかった。
プロテインって、飲み物ではあるけど食べ物じゃないから満足感がないし、
サプリって、普通に飲み忘れる(笑)
毎日ちゃんと飲んでる人ほんとにすごいなって思う。
しかも「粉」とか「錠剤」って……
そもそもそれって、“食べ物”なの?って思っちゃって。
私にとっては、なんだか「食事」っていう感覚じゃなかったんです。
やっぱり体にとって大事なのは、“普段のごはん”の積み重ね。
丁寧に選んで、ちゃんと味わって、必要なものを摂って、いらないものを減らす。
そういう日々の選択の方が、よほど美容にも健康にも効くと思うんです。
サプリやプロテインを“魔法”みたいに扱って
肝心の土台(=食事)をおざなりにしてる人は
もしかしたら、“整えたつもり”になってるだけかもしれません。
「体に気を遣ってるつもり」が、ズレを生む
「体に気を遣ってます」
そう言う人は多いけれど、
よくよく見てみると──
・ジムに通ってる
・筋トレを頑張ってる
・プロテインやサプリをとってる
その“行動”にばかり意識が向いていて、
肝心の「自分の体」がどう感じているかに、意識が向いていない人も少なくない。
これって実は、
「体に気を遣ってるつもり」になっているだけかもしれない。
もちろん、筋トレもジムもサプリも、全部が悪いわけじゃない。
ただ、問題なのは──
“頑張ってる自分”に酔ってしまって、
体の声を聞かなくなっていく。
その結果、疲れても「もっとやらなきゃ」、
不調が出ても「やり方が足りないだけ」と、
さらに自分を追い込んでしまう。
──でもね、体って、本当に正直なんです。
呼吸が浅くなっていたり、
姿勢が崩れていたり、
眠りが浅くなっていたり。
それらはみんな
「ちょっと待って、今のやり方合ってないかも」っていう、体からのサイン。
それに気づけるかどうか。
そこで、“整え方”の質が変わってくるんじゃないかな、と思っています。
私が「トレーナーっぽくない」と言われる理由
「トレーナーっぽくないよね」
たぶんこの言葉って、
“筋トレをしてる人” “ムキムキの人” “ストイックな人”
みたいなイメージが前提にあるんだと思う。
私はそのどれにも当てはまらない。
・筋肉を追い込むようなトレーニングはほとんどしない
・プロテインも飲まないし、サプリも常備していない
・食事も、厳しく制限したりはしない
・「ストイックですごいですね」と言われることは、ほぼない(笑)
だけど、その代わりに──
・呼吸を観察する
・姿勢の崩れに気づく
・日常の体の使い方を見直す
・ごはんをちゃんと味わって食べる
そんな風に、体を“丁寧に感じて調えること”を、ずっと大事にしてきました。
かつては「これでいいのかな?」って思ったこともある。
周りのトレーナーたちはどんどん体を絞って、ムキムキになっていく中で
自分はそこに追いついていないような気がして。
でも、今は違います。
私が届けたいのは、誰かの「理想の体型」じゃなくて
その人の体が本来の状態に戻って、健やかに、心地よく、のびのびと生きられること。
“整える”ことの本当の意味を
これからも一緒に感じてもらえたら嬉しいなと思っています。
“体に気を遣う”って、もっとやさしいもの
「体に気を遣う」って
もっとストイックで、完璧で、頑張らなきゃいけないことだと思ってた。
筋トレして、ジムに通って、サプリやプロテインを取り入れて──
それが“ちゃんとしてること”だと思い込んでた。
でも今は、考え方が変わりました。
体に気を遣うって、
もっとやさしくて、静かで、日常に溶け込むものなんじゃないかなって。
・朝、深呼吸してみること
・姿勢を正して立ってみること
・ちゃんとお腹が空いてから、ごはんを食べること
・疲れたら、ちゃんと休むこと
それだけでも、体ってちゃんと反応してくれるし
「整ってきたな」と感じる瞬間が、ちゃんとある。
誰かと比べてすごくなくても、
SNSで映えなくても、
自分の体とちゃんと向き合っている人って、どこか凛としていて美しい。
“頑張る”でもなく、“我慢する”でもなく、
「今の自分の体に、ちゃんと応えること」
それこそがいちばん自然で、いちばん健やかな「気の遣い方」だと思うんです。
ちゃんと食べて、ちゃんと休んで、ちゃんと笑って。
それができてたら、大体OKなんじゃない?って思ってます(笑)
ちなみに──
「気合いだー!」「自分に打ち勝て!」みたいな
熱血系のトレーナーって、けっこう多い。
もちろんそれが好きな人もいるし、合ってる人もいると思います。
だけど私は、あの感じがちょっと苦手。
そして、できない(笑)
無理に追い込むより、
「今、どんな状態?」「何が必要?」って聞いてあげる方が、よっぽど力になると思ってる。
頑張れない日があってもいいし、
立ち止まったり、休む選択ができるのも、
ちゃんと自分を整えている証だと思うから。
この「やさしい整え方」が、
誰かの体と心を、ふっとゆるめるきっかけになりますように。
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