「エビデンスが正しいの?」と問う前に
最近やたらと「エビデンスは?」「根拠は?」って聞く人が増えました。
もちろん大事な視点です。
けれど、その“エビデンス”を果たしてどれだけの人が理解できているのでしょうか。
というか、その論文、本当に読むんですか?
…私も途中で眠くなることもありますよ(笑)
エビデンスの限界とは?
研究には必ず前提や条件があります。
対象が30代女性か、70代男性か。生活習慣や文化背景はどうか。
これだけで結果の意味はガラッと変わります。
そして、専門用語や統計指標がずらっと並ぶ論文。
「p値が0.05以下だから有意」って言われても、ピンと来ない人の方が多いはず。
つまり「エビデンスを見たら正解がわかる」という単純なものではないのです。
プロの役割は“翻訳”にある
そこで登場するのが、その道のプロ。
専門家は、研究結果を生活に使える言葉へと“翻訳”します。
もちろん、プロだって全部知っているわけじゃない。
論文を丸暗記しているわけでもありません。
でも知識と経験を組み合わせて「筋道を立てて考える」ことはできる。
ここがプロの価値だと私は思います。
それなのに、せっかく噛み砕いて伝えた途端に「根拠は?」って返されると…
心の中で「さっき読めなかったところを私が説明したんですけど?」って突っ込みたくなります(笑)
答えを待つだけでは、考える力が育たない
今は「エビデンスを出せ=すぐに答えを示せ」という空気が強いですよね。
でもこれは、自分で考える前に“正解”だけを求めてしまう姿勢にそっくり。
「根拠を示して」と言うのは簡単。
でもそれだけだと、テストの答えを待つだけの状態とあまり変わりません。
学生でも、自分で考えて道筋を立てられる子はたくさんいます。
ただ一方で、正解を待つだけのスタイルが広がっているのも事実だと感じます。
これは教育の場でも、体づくりやライフスタイル改善でも同じ。
正解を待つのではなく、自分で考える習慣こそが土台になります。
「わからないから答えだけちょうだい」では、思考力は育ちません。
せっかく頭があるんだから、少しは考えてみてもいいんじゃない?と思います。
まとめ
エビデンスは大切です。
でも、それを「盾」にして正解待ちになるのはもったいない。
本当に必要なのは、エビデンスを理解し、自分で考え、道筋を立てられる力。
その積み重ねが、プロにとっても学生にとっても、そして私たち一人ひとりにとっても大事な土台になるはずです。
だからこそ「考える習慣を調える」ことが、これからの時代には欠かせないのだと思います。
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