「変えたくても変えられない人もいるんですよ」
発信をしているとこうした言葉を向けられることがある。
一見すると、とても思慮深くて
「構造を見ている」「優しい視点」のようにも見える。
でも私はどうしても引っかかる。
なぜならそれは
話の焦点をずらしているだけに見えるから。
そのコメントの正体
「そういう人を作った親とか環境に対して触れないのには理由があるんですか?」
この問いがやっていることは、実はとてもシンプル。
・親や環境という「動かしにくい要因」を持ち出す
・話の焦点を「今の本人」から外す
・責任の所在を、永遠に外部に置く
つまり行動しない理由を、もっともらしく補強しているだけ
そう見えてしまう。
親や環境が影響することは「当たり前」
誤解しないでほしいは
親の影響があることも
環境の影響があることも
生まれた場所や育ちを選べないことも
否定していない。
それは事実だと思っている。
でもそれは
前提条件であって、結論ではない。
問題はそこから先だ。
問題は「いつまでそこに留まるか」
親が原因だったとして。
環境が厳しかったとして。
じゃあ、そのあとどうするのか。
・距離を取る
・環境を変える
・働き方を変える
・人間関係を選び直す
実際にそうやって生き方を変えてきた人はいる。
つまり
原因が何であれ、その先をどう生きるかは「選択」になる。
私はその話をしている。
「全部人のせい」は、実はかなり残酷
一見、やさしそうに聞こえる言葉。
「それは親のせいだよね」
「環境が悪かったんだから仕方ないよ」
でも、それって本当にやさしいだろうか。
裏を返せば
・あなたは変われない
・あなたに選択肢はない
・一生そのままで仕方ない
そう言っているのと同じ。
私はその方がずっと残酷だと思う。
なぜ人は「親や環境」に触れさせたがるのか
理由はシンプルだと思う。
・今の自分を変えたくない
・でも責められたくない
・だから「もっと大きな原因」を持ち出す
これはいわば自己説明ラベルの拡張版。
最終的に行き着くのは、ここ。
「私は悪くない」
「私は被害者」
「だから、何も言わないで」
でもその場所に留まり続ける限り、人生は一ミリも動かない。
私が向けているのは「今の自分」という視点
私が話しているのは
親や環境を裁くことでも、事情を比較することでもない。
今の自分を、どう扱うか。
今の自分を、どう引き受けるか。
それだけだ。
環境や出来事は選べなくても
そのあと自分をどう扱うかは選べる。
選ばない自由もある。でも…
もちろん
何も選ばず、そのままでいる自由もある。
誰かのせいにし続ける自由もある。
でも私はその在り方を肯定したいとは思わない。
なぜならそこには未来がないから。
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