便利な時代に、あえて手間を残すという選択。

便利さの裏側で、私たちは何を失っているのだろう

便利なものが増えて、私たちの暮らしはどんどん効率よくなっている。
ボタンひとつで終わることが増え「手間」は生活の中から少しずつ姿を消していった。
でも最近、こんなことを思う。

手間を省くほどに
もしかしたら “自分への扱い” も下手になっているのかもしれない。

便利な世の中になったのはありがたいこと。
でもその便利さに甘えて
「自分を蔑ろにする理由」にしていないだろうか?

便利さを手に入れた代わりに、失っているもの

便利さは悪ではない。
むしろ助けられることが多いし、忙しい毎日には欠かせない。
けれどその陰で、静かに失われているものがある。

「便利だからいいや」
「忙しいからしかたない」

そんなふうに自分に言い訳しながら
本来なら体や心に向けるはずだった“小さな手間”まで、省いてしまうことがある。

ワンタッチで済むスキンケア。
レンジで数分の食事。
着るだけで体型が整うと言われる服。
アプリが気分まで整えてくれるサービス。

どれも悪くない。
でも同時に
「自分で触れる時間」を静かに奪っていく。

肌に触れる。
体に聞く。
呼吸に気づく。
立ち方や歩き方を観察する。

本来なら、こうした“小さな手間”こそが
自分を大切に扱う入り口だったはずなのに。

手間は、心と体を調える時間

手間をかけるという行為は、ただの作業ではない。
体と心を調えるための、自分の感覚を取り戻す時間だと思っている。
だからこそ、便利さを選ぶときほど問いかけたい。

「私はいま、自分を丁寧に扱えているだろうか?」

その問いを忘れない限り、便利さは敵にはならない。
むしろ味方になってくれる。

手間のある暮らしは、私を育ててくれる

「丁寧な暮らしをしてますね」と言われることもあるけれど
私はそれを“手間”だと思っていない。
いや、思わなくなった。

畑で野菜を育てること。
よもぎを摘んでオイルやチンキをつくること。
コーヒーの生豆を焙煎すること。
枝豆を育てて大豆になり、味噌を仕込むこと。

どれも効率とは程遠い。
でも楽しい。

自分で自分をつくっているようでもあり
同時に自然に育ててもらっているようでもある。

種をまく。
焙煎の香り。
よもぎの柔らかい手触り。
味噌が熟していく時間。

そのすべてが、感覚を調えてくれる。

土鍋で炊くご飯のように、自分にも“手間”をかける

私は炊飯器を使わず、土鍋でご飯を炊いている。

沸く音がして
甘い香りがふわっと立ちのぼり
火を止めたあとに静かに蒸らす。

たったこれだけのことなのに、体と心がすっと落ち着いていく。

ここにも“手間”があるようで、実は手間ではない。
自分を丁寧に扱うふとした時間。
それだけのことが、暮らしの質を大きく変える。

手間は、贅沢ではない。“自分の扱い方”を思い出す時間

体は丁寧に扱った分だけ応えてくれる。
逆に、雑に扱えば所作も心も雑になっていく。

だから手間というのは贅沢じゃない。
それは「自分をどう扱うか」という生き方の話。

呼吸を調える一瞬。
姿勢を調える気づき。
食べ方を選ぶ心の向き。

ほんの少しの手間をかけるだけで体は品をまとい始める。
便利さに支配されるのではなく
便利さと丁寧さを“自分で選べる”状態に戻すこと。

それが今の私にとっての“調える”という生き方だ。

おわりに

便利なものを使いながらも
自分に必要な手間だけは省かない。

そんなふうに生きられたら
体も心もゆっくりと、自分らしい美しさを取り戻していく。

手間をかけるほどに私は調っていく。

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前田 みゆき

呼吸・姿勢・体の使い方・食べ方から“根性に頼らない体づくり”を発信。不眠・難聴などの不調から整える生き方に変えました。

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