バク転の動画を投稿したとき、こんなコメントをいただきました。
「そんな投稿しない方が良い。
真似する人が絶対にいるし、実際失敗して全身麻痺した人もいる。」
うーん。
最初に思ったのは、とてもシンプルで
「え、なんで?」
でした。
バク転が危険な動きであることは事実です。
怪我のリスクも当然あるでしょう。
しかし今回の投稿は
バク転を勧めているわけでもなく
やり方を教えているわけでもありません。
話の主題は、身体の使い方や感覚の話です。
それでも
「真似する人がいるから投稿しない方が良い」
という話になる。
この考え方、少し不思議だなと思ったんです。
さらに
「投稿は貴女の自由だが、
もう少しリスクの少ない投稿を心掛けていただきたい。」
とコメントもありましたが、ここで一つ疑問が浮かびました。
「リスクの少ない投稿」って何だろう。
真面目に考えると、かなり面白い話です。
どこからがリスクで、どこまでが安全なのか。
これは、ほぼ完全に主観の世界です。
例えば──
・ランニング動画 → 心臓発作のリスクはある
・ヨガ → 関節を痛める人はいる
・ストレッチ → 神経を痛める可能性もある
・筋トレ → 腰を壊す人もいる
・階段ダッシュ → 転倒事故のリスクは起きる
では、何を投稿すればノーリスクなのでしょう。
呼吸?
でも、過呼吸になる人がいるかもしれない。
歩行?
転倒する人がいるかもしれない。
この理屈は、どこまでも拡張できます。
だから現実社会では
「リスクゼロ前提」ではなく「行動選択は本人前提」
という考え方で成り立っています。
見ることと、やることは別であり、行動の責任は実行者にある。
それがごく普通の前提です。
料理動画はどうでしょう。
包丁で指を切る人もいれば、火傷をする人もいます。
登山の投稿も同じです。
滑落事故も、遭難も、現実に起きています。
それでも「危険だから投稿しない方が良い」
という話には通常なりません。
なぜなら
見ることと、実際にやることは別だからです。
SNSでは時々、少し不思議な現象が起きます。
発信内容そのものではなく
「誰かが間違った行動をするかもしれない」
という仮定の話が始まり
いつの間にか責任の話へ変換されていく。
でも本来
行動を選ぶのは本人です。
環境を整えるのも本人です。
リスクを引き受けるのも本人です。
発信と実行は、まったく別の次元の話です。
そして器械体操の選手が世界大会で
はるかに高度で危険な技を披露していても
「危険だから放送しない方が良い」とは言われません。
なぜでしょう。
おそらく権威や公的なものには寛容で
個人の発信には介入的になりやすい。
そんな人間らしい心理もあるのかもしれません。
SNSのコメント欄を見ていると
人は必ずしも投稿の主旨に反応しているわけではなく
自分の関心や価値観のフィルターで世界を見ているのだと感じます。
危険に敏感な人は危険を語り
理屈が好きな人は理屈を語り
能力の話が好きな人は可否を語る。
同じ投稿でも、見えている世界はかなり違う。
もちろん、どの考え方が正しいという話ではありません。
ただ一つ言えるのは
危険性の話と、発信の自由の話は別物だということ。
そして
見る自由と、やる自由と、その責任もまた別物だということです。
\ あなたに合った一歩から /
LINEで最新情報を受け取る
体験レッスンに申し込む
📄 もっと詳しく知りたい → サービスの詳細ページ
🎥 動画で学びたい → YouTube
コメント